父の最期と今の私の気持ち(2020年)
小野
今から8年前の冬に、私の父は他界しました。
もう延命治療を施しても、3~4日の命だと医師から告げられて、私は同席していた母より早く、「延命治療はしないでください」とお願いしました。
父の意識は徐々に薄れていき、最後の方は「ふがっ!ふごごっ!」という、声にならない声で私たちに訴えかけていました。
「お父さん!お父さん!」と話しかけると時折、正気に戻ったような目でこちらを見つめ、母も私も病床の父に寄り添うだけで精一杯でした。
父の病名は悪性リンパ腫で、血液の癌でした。この病気に罹患してから9年2ヶ月、父はひたすらつらい抗がん剤治療に耐えて、少し回復すると自分で病院の廊下を元気に歩いてリハビリに専念していました。治療がつらいなんて一度も弱音を吐いたことはありませんでした。
父は退院してアルバイトができるまで、癌が良くなった時期もありました。そのころの父は元気そのものでいきいきとしていました。
私はそんな父が誇らしくもあり、少し心配でもありました。
そんな父の体を癌は徐々に蝕んでいきました。
健脚だった父が脊柱管狭窄症になり、足が擦り切れた箒のように細くなってしまい、歩くことがきちんとできなくなってしまいました。それでも車の運転には支障がなく、主治医からも許可が出ていたので、私や母を乗せて買い物などに行きました。
車も新車を父の為に購入しようとしたのですが、当時人気のある車で納車まで半年待ちで、父がその新しい車を運転できたのは2回くらいでした。
食欲も次第になくなり、「食べないと元気でないよ」などと言っても「プレッシャーを
かけないでおくれ」と力なく言われて、とてもやるせなかったです。
何でもできた父が何もできなくなる。それを目の当たりにするのがとてもつらかったです。もうこれ以上、父を苦しませたくない。私は祈るような気持ちで残された日々を過ごしました。
父は一生懸命働いて私たち家族に不自由ない暮らしを与えてくれました。休みの日に山や川や海に連れて行ってくれたり、ゴールデンウイークやお正月には温泉に連れて行ってくれたり、たくさんの楽しい思い出を残してくれました。
それはきっと母も同じだと思います。
父はもうこの世にはいないけれど、いつだって私と母を見守ってくれている気がします。
少し柔らかい風が吹くと父を思い出します。父はいつも私の心の中にいるのです。
前を向いてしっかり歩いていこうと思います。